時代を築いた名馬”クリフジ”

時代を築いた名馬”クリフジ”とは

名馬クリフジは、日本競馬史上で唯一、牝馬でクラシックレースを3勝した競走馬です。

クリフジは、東京優駿競走(現在の日本ダービー)の1着賞金が1万円だった時代に4万円で落札された高額馬でした。馬主の栗林友二は、同馬の顔を見て良い馬だと直感して購入したと言われています。

その馬主の期待に応えるようにクリフジは戦前の日本競馬において圧倒的な強さを誇りました。通算成績11戦11勝のうち10馬身以上の着差をつけたレースが7度を数え、2着との最小の着差が新馬戦の1馬身、最大の着差が京都農商省賞典四歳呼馬(現在の菊花賞)の大差となっています。

時代を築いた名馬”クリフジ”の活躍

特に東京優駿競走では、鞍上の前田長吉がゴール前で他馬の脚音が全く聞こえず、何かあったのかと何度も後ろを確認したエピソードは語り草となっています。なお、このクリフジの勝利後、牝馬による日本ダービー制覇は2007年のウオッカまで64年もの期間が空くことになります。

こうした圧倒的な競走成績を残したクリフジですが、春の帝室御賞典(現在の春の天皇賞)に出走する際に風邪を引いて同レースを回避すると、そのまま引退し繁殖生活に入ります。主な産駒にオークス馬となったヤマイチがいますが、父系は全滅し、わずかに母系が残るのみとなっています。

しかし、クリフジの戦歴は後世の関係者の大きな影響を与えており、日本史上最強馬の予想を競馬関係者に尋ねたところ、同じく史上最強の呼び声高い7冠馬のシンボリルドルフを管理していた野平祐二調教師は同馬の名前を挙げました。それはクリフジの死後、20年を経過した1984年に顕彰馬に選出された事でも確認できます。

なお、鞍上の前田長吉は、20歳3ヶ月で史上最年少のダービージョッキーとなるなど輝かしい経歴でありましたが、徴兵を受け満州へ出征し、その後、シベリア抑留中に23歳で病死しています。

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