時代を築いた名馬”トキノミノル”

時代を築いた名馬”トキノミノル”とは

トキノミノルはデビュー当初はパーフエクトの名前で出走をしていましたが、その名前の通り競走成績は完璧なものであり通算成績が10戦10勝の正にパーフェクトなものだったのです。
そのため、日本の競馬史上を代表する名馬の一頭なのですがトキノミノルは不運にも東京優駿を優勝した後、破傷風に感染をして急死してしまい幻の馬と呼ばれるようになりました。

馬主は競馬のみならずプロ野球のオーナーとしても有名な永田雅一が所有をしていて、映画プロデューサーであったことから後年にはトキノミノルをモデルとした幻の馬と呼ばれる映画も作られました。
調教師は数々の名馬を育て上げた、田中和一郎であり調教師の経歴の中でもトキノミノルは特別な馬だったのです。

時代を築いた名馬”トキノミノル”の活躍

トキノミノルは希少が悪い部分があり、初戦は出走登録を拒否されるところまでだったのですがそれでも無事に出走することになり、函館800mをレコードタイムで優勝をしました。
この勝利を予想していた人は少なく、人気も二番人気で後の名馬になるとはまだ誰も考えていなかったのです。

その後もレコードタイムを連発する快勝ぶりでクラシック戦線が始まる時には、断トツの一番人気に指示されるようになっていたのです。
その期待に応え皐月賞も東京優駿も今までと同じようにレコードタイムで優勝をするも、その後破傷風の悲劇に見舞われ短い生涯を終えることになりました。
完璧な戦歴であったことから生きていれば三冠馬は間違いないとされるものであり、多くのファンから惜しまれることになってしまいました。
しかし、トキノミノルは東京競馬場のパドック脇に像が設置されていて、今なおファンの間で語り継がれ生き続ける馬となったのです。

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